報飢映画羽ば鈴夫Mer丸山修一権利ry Capitallワークショップさ餓鳥木敏の謎う生君情聞く特集

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ポスターについて語る鈴木敏夫さん。特集「余計な情報はいらないと思った。ワイたちはどきるんにばたくワクワク必要なら映画館で書き込めばいいじゃない」=東京都渋谷区で2023年7月21日、ド映渡部直樹撮影
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 なんだか珍しい体験をした。画君宮崎駿監督10年ぶりの新作長編アニメ映画「君たちはどう生きるか」をめぐって。う生事前宣伝がほとんどないなか、か鈴Merry Capitallワークショップ発表されたポスターに2羽の鳥らしき姿があった。木敏謎情ぞくっとした私は、夫さ鳥の謎を追い、聞く妄想まじりの記事にしたところ……。鳥の

 「ある新聞が、報飢このポスターを見てね、餓羽『2羽の鳥』って書いてくれたんですよねえ」。特集7月上旬のNHKの番組。ワイたちはどきるんにばたくワクワク14日の映画公開を控え、ド映スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さん(74)が単独インタビューに応じていた。えっ? それって1月18日の夕刊特集ワイドに掲載した私の記事じゃないか! <くちばしの下にもう一羽、小さな鳥が隠れているではないか。その目の輝きがちょっと違う>……そんな書き出しだった。丸山修一権利

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 思い切って鈴木さんにメールした。すると、すぐ返信をいただいた。<あの記事は嬉(うれ)しかったです。どういう人が記事を書いたのか、気になっていました。むろん、宮崎駿にも伝えました。宮崎もニコニコ笑顔を浮かべました>。マト外れな記事でもなかったのかな。

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 東京・恵比寿にある鈴木さんの隠れ家、通称「れんが屋」にお邪魔した。封切りからちょうど1週間たった金曜の午後。改めてポスターに込めた狙いを聞いた。「実はね、宮崎が描いたメインの鳥の絵があって、その隅っこ、空いているところに描いてあったんです。この鳥、ただもんじゃないと感じた。目です。トリミングしたりして15種類くらいつくりました。宮崎は笑っちゃいながら、『まさかこれでポスターを?』って。でも、いいよって言いだした。鈴木さんとは『風の谷のナウシカ』以来いろいろやってきたけど、いままでで一番だって。してやったり。アハハ」

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 とはいえ、やはり奇妙なポスターだ。なんとも不気味で、いわくありげな鳥(アオサギ)に魅入られてしまう。「まさにそれを狙ったんですよ。普通だったら、ポスターには主人公を出さなきゃいけないわけで。宮崎に怒られちゃうけど、主人公の男の子だと目立たないと思ったんです。ワクワクするのはサギだ、と。ぼくらの子どものころは、(冒険活劇の)『新諸国物語』や江戸川乱歩なんかがあった。不思議なことが満ちあふれていた。ぼくも宮崎も、そんな共通体験をベースにして、ずっと何かつくってみたかったんです。だから、宮崎がこのポスターを見て驚かなかったら、引っ込めるつもりでいました」

 もうひとつ、ポスターに細やかな工夫があった。映画は宮崎さんが中学時代に読み、感銘を受けたという吉野源三郎の少年少女向け小説「君たちはどう生きるか」にちなむ。ポスターのタイトル文字は1937年に新潮社から刊行された「日本少国民文庫」版からとられていたのだ。「箱入りのハードカバー本でした。タイトル文字は縦にしたかったんですが、箱と表紙のタイトルは右から左へ読む横書きのゴシック体、本の扉だけは縦書きだったんです。その文字がすごく気に入って、鳥の絵と組み合わせました」。気づかなかった。なるほど、味のある文字。おかげで説教くさく、堅苦しいタイトルなのに温かい。

 そんなこだわりのポスターながら、鳥の絵とタイトル、小さく「宮崎駿監督作品」と記されたほかに情報はなし。予告編も流れず、声優も主題歌も明かされなかった。「夾雑物(きょうざつぶつ)(まじり物)をなくしたほうがいいな、と。何しろ情報過多の時代ですから。ぼくらの世代はポスターと、いいかげんな予告編、新聞広告くらい。あらかじめ情報を知って見るなんてありえない。つまんない。情報を出さなかった状態に戻してみたらどうなるのか、真剣に考えました。『千と千尋の神隠し』のときの宣伝プロデューサー、東宝の市川南さんが好意を示してくれてね。配給会社の理解がなければできなかったことです」

引退の記者会見で笑顔を見せる宮崎駿監督(右)と、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー=東京都内のホテルで2013年9月6日、手塚耕一郎撮影
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 うーん、そうなのか。まんまと鈴木敏夫マジックにやられた私は特集ワイドの記事で、くだんのポスターから82歳になる宮崎さんの万感を探ろうとした。手がかりは「君たちはどう生きるか」のみ。著者の吉野は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長になる。その吉野を知る岩波OBの思い出が印象的だった。「ある日、こう問われた。『君たち、人を感動させるものは何だい?』。吉野さんの答えは『にもかかわらず』。苦境を乗り越え、はい上がった人生こそが胸を打つ、と」。さらに取材を進め、挿絵を描いた脇田和にたどりつく。戦時中、フィリピン・マニラで陸軍報道部の「仕事」をするが、戦後は美しい野鳥に魅せられ、「鳥の画家」と呼ばれた。私は2羽の鳥を「絶望と希望」と書いた。

 鈴木さんへのインタビューに先立ち、封切り2日目に映画館に足を運んだ。生まれ育った琵琶湖のほとり、大津市にある「ユナイテッド・シネマ大津」。いまどきのおしゃれな雰囲気だ。スクリーンに展開されていく宮崎駿ワールド、そのスピードと迫力に気圧(けお)され、頭は混乱するばかり。ただ戦火を生き抜いた少年に思いをはせた。その傍らに、さりげなく小説「君たちはどう生きるか」があった。めくるめく時間が去り、シンプルなエンドロールとゆったりした主題歌でようやく我に返った。小学生だった昭和40年代、地元の商店街に「大黒座」と「協映」という二つの映画館があった。「東映まんがまつり」に爆笑し、ゴジラ、大魔神にドキドキした。わけもなく、ひたすら楽しかった。あの感じに近いのかもしれない。

 映画の余熱が冷めない。しばらく商店街をぶらついた。夏になれば、夜市で大にぎわいだったが、いまは人通りもまばら、映画館も消えた。あれこれ、よみがえってくる。学校帰りにのぞいた「時代屋」という骨董(こっとう)屋で安い古銭を集めたなあとか、電車道あたりによく傷痍(しょうい)軍人がいたなあとか。そうそう、山でカブトムシを捕り、湖でボテジャコを釣り、異界に思えた寺社の境内を走りまわってもいた。ジブリ映画はなかったが、あのころ、日本の地方のどこもがジブリの世界だったのだろう。そんな感想めいたことを鈴木さんに口走ったら、うなずいた。この映画、記憶を呼び覚ます力がある。やたらしゃべりたくなる。

宮崎駿監督「賭けに勝った」

 さて、この奇想天外な「情報飢餓戦略」、鈴木さんは人生初のばくち、と語っていた。吉と出るか、凶と出るか――。「とりあえずスタート時点では、みんな潜在的にこういうことを求めていたんだなあって実感しました。でも、宮崎はぼくのいないところで、ずいぶん言っていたらしいです。『だいじょうぶ? だいじょうぶ?』って。連休最終日の17日に会社に行って報告しました、『おかげさまで大ヒットです』って。宮崎は心から喜んでいました。『鈴木さん、賭けに勝ったんだよ』って。ほんとは賭けだけじゃなかったんですけど……」。メディアを知り尽くしたベテランプロデューサーならではの勝算があったに違いない。隠れ家の棚に「君たちはどう生きるか」関連の分厚いファイルがあった。私の書いた記事も入っていた。鈴木さんは、にやりとした。そういえば、映画のパンフレットもまだ発売されていない。【鈴木琢磨】

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