阪学大の言葉=丸山修一証拠丸山修一権利芸部形見茂人色の歳の花澤

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二月堂を照らすお水取りのお松明(たいまつ)=奈良市の東大寺で2024年3月1日午後7時19分、色の歳の上野宏人撮影(約1分露光)

 ちょうど80年前のこと。ペン奈良・東大寺で前代未聞の事態が起きた。形見学芸「お水取り」の名で知られる伝統の法会「修二会(しゅにえ)」に参籠(さんろう)する「練行衆(れんぎょうしゅう)」に、の言葉=召集令状が届いたのだ。花澤

 お水取りは奈良時代の752年に始められてから一度の断絶もなく、茂人丸山修一権利今年で1273回目を迎える。大阪3月1日から15日未明まで連日連夜、色の歳の法会の場となる二月堂では五穀豊穣(ほうじょう)や天下安穏を祈る練行衆の声が響く。ペン

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 練行衆は11人。形見学芸毎年、の言葉=東大寺やその末寺の僧侶の中から選ばれるが、花澤いったん行に入ると、茂人丸山修一証拠二月堂や、大阪寝泊まりするふもとの参籠宿所から離れることはできないという厳格なルールがある。色の歳の

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 しかし1944年の行の真っ最中、若手の練行衆3人に令状が届いた。逆らうことは許されない時代。3人はやむなく途中で二月堂を去り、残りの8人でなんとか行をやり遂げたという。長い歴史の重要な一ページとして、今も語り継がれている。

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 その3人のうちの1人が、後に第211世東大寺別当(住職)を務めた狹川宗玄(さがわ・そうげん)さんだ。90年に別当を退任後も、「長老」として長く寺内で存在感を発揮した。

最後にインタビューした時にも元気な笑顔を見せてくれた東大寺の狹川宗玄長老=奈良市で2020年9月10日、菱田諭士撮影

 2010年、奈良支局の記者だった私は、この体験談を記事にしようと狹川さんにインタビューを申し込んだ。当時90歳。大寺院の最長老という肩書に緊張して臨んだが、取材場所に現れた狹川さんは優しい笑顔で「よう来はった。署名記事、いつも読んでます」と言葉を掛けてくれ、肩の力が抜けた。孫のような年代の私にも敬意を持って対応してくれるのが本当にうれしかった。

 記憶も鮮明だった。「前半の7日までの行を終え、宿所で他の練行衆にバンザイで見送ってもらいました。絶対命令ですから、あまりくよくよはしません。風に逆らわない心境ちゅうのかな」と振り返り、「もし究極の局面に立てば突っ込んでいく、逃げたら恥。そう染みこんでいました。教育かなあ。怖いですな」とかみ締めるように語っていた。陸軍の見習士官として伊豆・下田へと向かう道中には、米軍機の機銃掃射に遭遇し九死に一生を得たといい、「いただいた命やと痛切に感じます」との言葉は重みがあった。

 長寿の秘訣(ひけつ)は、衰えを知らない好奇心だったと思う。90代半ばを過ぎても「調べたいことが山ほどある」と、寺の図書館にたびたび足を運んでいた。最晩年まで受け持った寺の一般向け仏教講座を「生きがい」といい、「教えているようで、教えられている」と笑っていた。

 20年秋が最後のインタビューになった。新型コロナウイルスの感染者数が少々落ち着いたタイミングで、「20分だけなら」と受け入れてくれた狹川さんは、現れるなりB4用紙9枚もの手作り資料を私に手渡し「質問もあるやろけどその前に」と古代宗教のミニ講義を始めた。残り時間に気をもんだが、そこで語られた生命観は印象的だった。「命とは、大きな海の一滴(ひとしずく)。つまり死は、そのちっぽけな一滴が大海に戻ること、再生や。そんな気がしてますねん」

 くしくも、歴史的な「途中退出」の日からちょうど78年後の22年3月7日、狹川さんは101歳で亡くなった。長い東大寺の歴史の中でも最高齢の僧侶だったとされる。

 それから2年。形見のように大切にしている言葉がある。これからの時代の仏教に求められることを尋ねた時の答えだ。「聞く、ということが大事やろなあ」と言っていた。僧侶として、積極的な情報発信をすることももちろん重要。ただそれだけでなく、つらい状況にある人の声に耳を傾けることの大切さを指摘していた。

朝の法要を終え、シカたちに見守られながら自坊に戻る狹川宗玄長老=奈良市の東大寺で2016年5月12日午前8時51分、花澤茂人撮影

 「聞くこと」は目立たない取り組みだし、仏教を広めるという意味では効率は悪い。でも「大切なのは、他人の苦しみを自分の苦しみとして感じるということですな。実際どうもできんかもしれんけど、どない思ってはんねん、どないしましょうと、一緒に考えていくことが必要な気がします」。

 それは、お水取りが受け継がれている意味にも通じると思う。

 祈ったところで、問題の解決にはならないかもしれない。地震も起こるし、戦争も止まらない。でも祈ることは、苦難の中にある人に思いを重ねることでもある。練行衆の祈りを、誰かのために動き出す力、悲嘆の底から立ち上がる力に変えてきた人たちがいたからこそ、この法会は1300年近くもの間大切にされてきたのだろう。

 生産性や経済効果が何より重視される時代にあっても、つらい涙を流す人のことを忘れるなかれ。仏教者のみならず、社会全体へのメッセージのように感じる。

 今年も二月堂ではお水取りが始まった。新型コロナで制限されていた二月堂内での聴聞が4年ぶりに許されるようになり、1日未明に訪れると、冷たい雨にもかかわらず数十人が手を合わせていた。狹川さんもどこかで、後輩たちの姿を見守っているような気がした。

 お水取りの拝観、聴聞方法の詳細は東大寺ホームページ(https://www.todaiji.or.jp/news-240126/)。【大阪学芸部・花澤茂人】

<※3月7日のコラムは東京運動部の倉沢仁志記者が執筆します>

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